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2014年6月7日土曜日

リーダーの条件2〜劉邦が歩んだリーダー論

張良、蕭何、韓信という三傑を従えて漢王朝400年の基礎を築いた劉邦。

ライバルであった項羽に比べれば、打倒「秦」の旗を挙げた時期も遅く、
また、戦下手であり決して優位とが言えなかった劉邦ですが、なぜ、幸運
の女神は劉邦に振り向いたのでしょうか。

これを考察する面白いエピソードがあります。
漢王朝を樹立した劉邦が、ある酒宴の席で家臣に問います。

劉邦「朕が項羽に勝利し、天下を平定できたのはなぜだと思う?」
家臣「陛下は家臣に対し、論功を惜しまず出したからです。項羽は勝利
で勝ち取った領地を家臣に分け惜しみました。ですから、家臣達は陛下
について行ったのです。」
劉邦「いや違う。朕は張良、蕭何、韓信をはじめとする有能な家臣を使い
こなしたからだ。項羽は范増、一人さえ使いこなせなかった。そこの違い
である」

面白い内容だと思います。
重要なポイントは2つです。

1つは、家臣の言葉から、劉邦は必ずしも人徳者ではなかったことが
伺えます。
家臣に論功を惜しまず行ったから家臣は劉邦についてきただけで、もし
そうでなかったら、ついてこなかったと言い切っているのです。そして
それに対し、劉邦は気にもせず、持論を切り出す。
ここに劉邦の寛大さがあります。劉邦は元は沛県の亭長(警察)でした。
身分は低く、学も無ければ、教養も無い。そんなことは自分が一番よく
理解しており、それを「事実」として受け止めていました
だからこそ、そのことを話題に出されても「自他共に認めていること」
であり、気にもしないのです。
自分の弱みを素直に受け入れる」ことができ、それを恥ずかしいこと
とは思わない。皇帝ですら弱みはあり、それを認め、人として家臣と
対等である。このような姿に、家臣は気づかずとも劉邦に心を惹かれた
に違いありません。

2つ目は、劉邦の言葉そのままですが、有能な家臣を使いこなす能力
です。
先にも書いた様に、劉邦には家柄も学もなく、一人で立身など出来る
はずも無かったのです。それを支えたのが自分より遥かに有能な人達
です。劉邦は、ほぼ丸呑みする形で家臣達の進言を聞き入れて行きます。
それは、有能な家臣にとってすれば、この上なく良い環境であり、
自身の力を存分に発揮できる環境であったと言うことです。

さて、これら2つの要素は、現代のリーダーに置いても必要不可欠な
要素です。
リーダーも人であり、部下(メンバー)に対して弱みを見せてこそ、
部下(メンバー)はリーダーを助けたいと思うもの。
また、部下(メンバー)の能力を最大限に発揮できる舞台を用意してこそ
リーダーというのものです。

率先垂範して事に当たる事は、リーダーとしてもちろん大切な事ですが、
時には部下(メンバー)に一切を任せてみる。リーダーは大きな方針を
示すのみを部下(メンバー)に語り、そのプロセスは問わない。
部下(メンバー)が残した結果に対してのみ評価する。。
もちろん、部下(メンバー)の失敗は自分の失敗として捉え、その失敗
には部下(メンバー)と共に対処する。
このような人間関係を築く事で、リーダーも部下(メンバー)も共に
成長でき、強い組織となるための1つの条件だと考えています。

<劉邦マンボウさん>













2014年5月24日土曜日

リーダーの条件 〜 劉邦を参考に


歴史上の人物をWebで検索し、ネットサーフィン(死語?)することが私の暇つぶし方法です。
(たまに、買い物中や食事中も波に乗ってしまい、妻から怒られますが・・・)

今回、「張良」という人物について調べてみました。
張良とは、「項羽と劉邦」を読まれた方には、多く語ることも必要の無いですが、
ご存知無い方のために、少しだけ説明させていただきます。
※ご存知の方は、以下の節は読み飛ばしてください。

====
張良は、前漢を築いた「劉邦」に使えた将であり、今で言う「軍師」に相当する人です。
元々は、韓という国に仕えており、客将として劉邦の元で働いていましたが、
韓が楚に滅ぼされたのを機に劉邦の正式な武将となります。
当時、劉邦は楚(項羽)と天下を巡って戦っていましが、天下の形勢は圧倒的に楚が有利であり、
劉邦は劣勢に立たされておりました。
そんな形勢の中、劉邦を漢中に留め漢の体力作りを提言したり、「韓信」を推挙したり、
計略を授けたりと多方面で劉邦を支えます。
====

張良は、後世の人物の誰が評価しても、漢の建国に多大な力を発揮した人であり、
張良抜きでは劉邦は生きておらず、天下は楚のものになっていたに違いありません。

さて、そんな張良が自国滅亡後、生涯を捧げた「劉邦」とは、どんな君主だったのでしょうか?

ここでは「劉邦」のリーダー像を探ってみたいと思います。

劉邦のリーダー像を端的に表すことが出来る会話があります。
それは、張良と並ぶ漢の三英傑の一人「韓信」が謀反の疑いをかけられ、
劉邦に捉えられたとき、劉邦と韓信が交わした会話の中に垣間見えます。

劉邦「お前はどれだけの兵を率いることが出来るのだ?」
韓信「どれだけでも可能です。」
劉邦「では、朕はどれだけだ?」
韓信「せいぜい、10万でしょう。」
劉邦「(笑)。では、なぜ、今、お前は朕に捕まっている?」
韓信「私は兵を動かすことはできますが、閣下は将を動かせます」

この会話が意味することは、とても大切だと考えます。
要するに、劉邦は張良や韓信、陳平(漢の三英傑の一人)などの、優秀な家臣を見事に
使いこなして、天下を取りました
劉邦一人では何もできなかったのですが、家臣団をとりまとめて、劉邦の思い描く未来に
向かって家臣団を導いたとも言えるでしょう。
ここがとても大切な要素だと考えています。

では、なぜ、これほどの優秀な人材が劉邦の元に集まったのか?単なる人徳ではない、
何かがあります。
これは次回、検証してみたいと思います。

<張良マンボウさん>