2016年9月5日月曜日

日本三大水城〜今治城

松山に用事があって、道中の今治城によってきました。
藤堂高虎代表作の1つでもある水城は、その石垣と縄張りがとても素晴らしいお城です。

瀬戸内海に面した立地であるため、水分を含んだ砂の上に大きな石を載せるという工事は困難を極めたらしいですが、当時の最新技術を使って築城されたらしいです。

このお城の面白いところは、天守閣の位置が想定であることです。
文献には載っていないらしく、復興するときも「この辺」というある意味、適当な位置で復興されています。

<駐車場情報>
・城の目の前に駐車場があります。ただ、15,6台しか駐車できません。
 30分100円です。

<スタンプ情報>
・天守のチケットを購入する窓口で一言かければ、スタンプを貸してもらえます。
 天守に入らなくてもハンコを押せますよ。

<写真>
※駐車場から天守を臨む















※天守と藤堂高虎公像

























※その他

















※番外編(道後温泉)
建物が立替されるらしいので、その間は入れなくなりそうですね。




2016年8月30日火曜日

お金儲け話がタブーなのは江戸時代から?

先日、雑誌を読んでいたら、面白い下りを見つけましたので紹介します。

日本人はこれまで、人前でお金について話すことや、学校でお金の教育を行うことはタブーとされることが多かった。
一説によると、この背景には、江戸時代の武士が殿様から与えられた俸禄(給与)内で生活し、「金のために生きているのではない」というプライドを美徳とする意識が長く受け継がれてきたから、ともいわれている。」
(日本FP協会発刊 パーソナル・ファイナンス」

「確かにそうなのかも…」と思いつつ、「ちょっと強引だな…」という印象もありますね(笑)
確かに、武士は「いざ」という時には命をなげうってでも殿様に尽くすことが求められており、確かに「お金のためには生きていないな…」と思いますが、低禄の武士も多く、副業をしないとやっていけない時代でもありました。そのため本当かどうかはわかりませんが、刀も質に入れてしまうため、脇差をさして入るけど中身は空みたいなこともあったようです。武士こそ「お金がないと生きていけない」と強く思っていたのではないでしょうか。

また、江戸時代の人口構成における武士の比率は3〜4%と非常に低く、90%が農工商でした。
そう考えると、武士の思想だけで日本人的な思想が固まったとは到底思えず、むしろ江戸時代の思想というよりも明治〜昭和の戦前教育に原因があるのではないか?と考えます。

調べたわけではないので推測になりますが、戦前の日本は必ずしも裕福な国ではなく、当時の欧米諸国のような贅沢は官民ともにできかなったと考えられます。もっとも国防費が国家財政の30〜80%を占めていたわけで、強兵自体が国の目的でもありましたから、政府としても国民に頑張ってもらうしかなかったのかと。そのため「金儲け」ではなく「お国のために」という思想で国民を統制して勤労してもらった結果、「金儲けは悪」という思想に、はからずもなっていったように思います。