2013年10月27日日曜日

日本城郭検定





つい先ほど、「第三回 日本城郭検定」に申し込みをしました。

こんな検定があることも知らなかった。
レベルの高い順に1級、2級、3級とあり、今回受験するのは3級。

練習問題があって、挑戦してみたら、3級でも合格が怪しい感じ。
お城は好きで、見学を目的に旅行までするのに、いざ、検定という
ものになると、殆ど回答できなかった。。。

もっとちゃんと勉強して知識体系として学びたいと思ったので、
受験してみることにした。
これから学び直すぞ〜〜!




2013年10月24日木曜日

歴史で地域振興〜「戦国魂」さん



久しぶりに「戦国魂」さんのホームページにアクセスした。

相変わらず魅力的なアイテムを扱っている。。。
嫁の目を盗んで(笑)、信長の野望「創造」とコラボした
甲冑護符」を予約。
本当は、同じくコラボ商品である「南蛮兜」が欲しかったが、
30万もしたので断念(泣)。
もう少し手の届く値段設定であってほしい。。。

予約後、戦国魂さんのHPを散策していたら、興味深いことを
発見!
なんと、戦国魂さんは、地域振興のコンサルまでやっている
ではないか!講師派遣や企業、地域とのコラボレーションを
行い、地域活性や歴史企画で盛り上げる。とても興味深い。

私は常々、地域振興には以下の3つが主要なポイントである
思っている。
過去に堺屋太一氏がポイントを7つとして挙げていたが、
さらに絞るとこれら3つに収まると私は考えている。)

1.歴史、風土
自然
グルメ

誰もが旅行をしたことがあると思うが、必ずこれら3つの
ポイントを踏まえて計画をしているはずだ。

観光スポットは必ず歴史的な建物や遺跡、遺構、その地域の
風土を示す建物や物であり、または、滝、湖、断崖絶壁など
の自然造形物でもある。
また、ランチ、ディナーには、必ず地域の食文化を体験する。

つまり、これら3つの内、1つでもアピールすることができ、
それが観光客の心を捉えることができれば、観光スポットと
して旅行産業の舞台に立てる
ちなみに、宿などのインフラは、観光スポットと認められて
から考えるべきである。認められる前に考えると、不良債権
を負うこととなる。

「戦国魂」さんの事業、かなり興味深い。


2013年10月17日木曜日

上杉謙信の用兵術

昨日もNHKの歴史ヒストリアを観てしまい、上杉謙信の用兵術について語っていた。

謙信軍団が強力であった理由として「軍団の規模」と「柔軟な用兵術」を挙げている。

軍団の規模で言うと、謙信軍団の総数は、それほど多くない。大抵は8000人規模で
戦っていた。謙信が越後の大名をしている期間、それほど領地を広げてはいない。
「義」の武将であった謙信は、私利私欲のための領地拡大を望んではいなかった為、
越後一国の大名だった。だが、宿敵、武田信玄は、溢れでる野望により、着々と領土
を拡大。ついには甲斐と信濃を制し、国数だけで考えても、単純計算で軍団規模は
謙信の2倍にはなる。(話を簡単にしているだけであり、実際は、甲斐と信濃の国力
を計算にいれなければならない)

かの有名な第4次川中島の戦い(山本勘助が立案した啄木鳥戦法が行われた戦い)
では、武田信玄軍20000に対し、謙信軍は8000。基本的には数の優劣が戦の勝敗を
決めることには間違いないので、謙信軍としてはかなりの苦戦を強いられること
となると考えられた。
しかし、結果はご存知の通り、信玄軍の大敗となる。信玄は、この戦いで、山本勘助
や武田信繁ら有力武将が多く戦死し、窮地に陥っている。

この戦いでは、謙信の戦い方が色濃く出ていると言える。

1つは、軍勢が8000人という規模を活かした「機動性」である。
謙信は妻女山に布陣していたが、信玄の策(謙信軍の後方から奇襲し、謙信軍が下山
したところを正面から挟み撃ちする。)を見抜いた謙信は、夜の内に即座に兵を移動。
信玄本体の正面に布陣し、早朝、手薄となった信玄軍に逆に奇襲を仕掛けている。

軍事アナリストによれば、8000人という規模は、制御しやすく、攻撃力もある
というバランスのとれた規模らしい。
確かに数万という数の軍団を動かすには、時間もかかり機動力としては欠ける部分
もあろう。

謙信の戦い方がでている、もう1つは、「状況に合わせた用兵」である。
第4次川中島の戦いでは、謙信特有の「車懸の陣」という陣形が用いられたと考え
られている。従来の説だと、本陣形は、部隊を順に、車輪の様に回転させて、敵に
あたらせるという考えだったが、最近の研究では、そうではなく、消耗してきた
部隊に対し、後方から援軍を送り、常に一定の兵力の様に見せるという陣形では
ないか?という。
前線の状況に合わせて、必要な箇所に兵力を投入する。理に叶った戦法である。


現代社会における大企業では、肥大した組織が硬直化し、効率よく統制できなく
なってきている。また、一定の手続きや処理をしないと物事が進んでいかないなど
柔軟性に欠ける部分は多く存在する。

JALを再生させた稲盛和夫が提唱している「アメーバー経営」では、組織を細分化し、
強力なリーダーの下、細分化された組織単位に意思決定を行い、独立採算を行う
こうすることで、組織が柔軟となり、迅速な意思決定と経営への参画意識を全社員
に持たせることが出来る。
という理念の元に成り立っている。
少し強引かもしれないが、謙信軍団と類似している点は多々あろう。

迅速な意思決定に必要な人数規模、そして、柔軟な思考力。

この2つは戦国時代から引き継がれている重要なキーワードだと考えている。






2013年10月10日木曜日

武田信玄の家臣統率術

昨日、NHKの歴史ヒストリアで武田信玄の家臣統率術をやっていた。

信玄は、家臣を統率する上で、成果主義」と「いたわり」を大切にしていたらしい。

成果主義は文字通りのことだが、徹底ぶりがすごい。
戦の時もすぐに恩賞を与えられるよう、金を保持していたといわれており、一般的に
論功は戦が終わった後という常識を打ち破っている。
また、いたわりに関しては、甲府の秘湯に家臣を招待したり、まめに家臣に手紙を
送ったりしている。手紙の中にも、信玄の気遣いがあり、「今からそちらに向かうが、
接待や掃除は不要」など、家臣に無駄な気を遣わせない努力をしている。
このような「主人の家臣への気遣い」をベースにした、武田家は、「武田24将」と
言われる程の強固な、団結力を持った軍団を築き上げている。
※「24将」というが、30人近い武将が一致団結するなど、利害関係が行動規範となる
 戦国の世としては大変めずらしく、それを考えると、武田信玄の統率力、人間力は
 かなりのものであったに違いない。

これは、現代社会でも十分に通じると考えられる。

日本の会社は、そのほとんどが半年に1度、社員評価が行われる。
しかも、評価を最終的に下す人は、現場の人間とかけ離れており、直属の上司の報告
次第となり、直属の上司にどれだけ「気に入られているか」が問題となる
また、半年の仕事を平準化して捉えられてしまうため、1度の成功は1度の失敗により、
帳消しとなる。
ここでは、リアルタイムに評価される仕組みが必要だ。
戦国時代の様にすぐに「砂金で」とはいかないので、ポイント制がよいと考える。
成功、挑戦には、プラスポイント。失敗、怠惰にはマイナスポイントを都度、与える。
これには、側面が偏らない様、複数評価を取り入れる必要がある。

また、「いたわり」に関しては、人間味あふれる上司が少なくなってきている。
これは、無駄に酒を誘う上司ではない。
自分の作業に追われ、評価を気にし、組織の成長を止めてしまうリーダー、上司は
いくらでもいるが、正論だけを吐かず、現場の状況に合わせた言動を行えるリーダー、
部下の成長をしっかり考える上司は少ない。
ましてや、部下に気を遣うなど、考えも無い上司が多い。歳をとって管理職となった
人は、えらくなったと勘違いしているのではないか?上司が部下を支えているのでは
ない。組織の下が上を支えている。これは間違いの無い事実である。
そのために、上は下に気を遣い、下が思いっきり仕事をできる環境を作る必要がある
その役割を果たしてこそ、24将という心強い集団が出来上がるのだ。