歴史上の人物をWebで検索し、ネットサーフィン(死語?)することが私の暇つぶし方法です。
(たまに、買い物中や食事中も波に乗ってしまい、妻から怒られますが・・・)
今回、「張良」という人物について調べてみました。
張良とは、「項羽と劉邦」を読まれた方には、多く語ることも必要の無いですが、
ご存知無い方のために、少しだけ説明させていただきます。
ご存知無い方のために、少しだけ説明させていただきます。
※ご存知の方は、以下の節は読み飛ばしてください。
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張良は、前漢を築いた「劉邦」に使えた将であり、今で言う「軍師」に相当する人です。
元々は、韓という国に仕えており、客将として劉邦の元で働いていましたが、
韓が楚に滅ぼされたのを機に劉邦の正式な武将となります。
韓が楚に滅ぼされたのを機に劉邦の正式な武将となります。
当時、劉邦は楚(項羽)と天下を巡って戦っていましが、天下の形勢は圧倒的に楚が有利であり、
劉邦は劣勢に立たされておりました。
劉邦は劣勢に立たされておりました。
そんな形勢の中、劉邦を漢中に留め漢の体力作りを提言したり、「韓信」を推挙したり、
計略を授けたりと多方面で劉邦を支えます。
計略を授けたりと多方面で劉邦を支えます。
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張良は、後世の人物の誰が評価しても、漢の建国に多大な力を発揮した人であり、
張良抜きでは劉邦は生きておらず、天下は楚のものになっていたに違いありません。
張良抜きでは劉邦は生きておらず、天下は楚のものになっていたに違いありません。
さて、そんな張良が自国滅亡後、生涯を捧げた「劉邦」とは、どんな君主だったのでしょうか?
ここでは「劉邦」のリーダー像を探ってみたいと思います。
劉邦のリーダー像を端的に表すことが出来る会話があります。
それは、張良と並ぶ漢の三英傑の一人「韓信」が謀反の疑いをかけられ、
劉邦に捉えられたとき、劉邦と韓信が交わした会話の中に垣間見えます。
劉邦に捉えられたとき、劉邦と韓信が交わした会話の中に垣間見えます。
劉邦「お前はどれだけの兵を率いることが出来るのだ?」
韓信「どれだけでも可能です。」
劉邦「では、朕はどれだけだ?」
韓信「せいぜい、10万でしょう。」
劉邦「(笑)。では、なぜ、今、お前は朕に捕まっている?」
韓信「私は兵を動かすことはできますが、閣下は将を動かせます」
この会話が意味することは、とても大切だと考えます。
要するに、劉邦は張良や韓信、陳平(漢の三英傑の一人)などの、優秀な家臣を見事に
使いこなして、天下を取りました。
劉邦一人では何もできなかったのですが、家臣団をとりまとめて、劉邦の思い描く未来に
向かって家臣団を導いたとも言えるでしょう。
使いこなして、天下を取りました。
劉邦一人では何もできなかったのですが、家臣団をとりまとめて、劉邦の思い描く未来に
向かって家臣団を導いたとも言えるでしょう。
ここがとても大切な要素だと考えています。
では、なぜ、これほどの優秀な人材が劉邦の元に集まったのか?単なる人徳ではない、
何かがあります。
何かがあります。