先日、家の近くにある公園に子供と散歩に行きました。
その公園から1〜2分程度歩くと「源内峠製鉄遺跡」という遺跡があります。
この遺跡は、7世紀頃の製鉄所を復元したもので、製鉄したと思われる炉が
3基存在します。写真は、その姿を写したものですが、ぱっと見た感じでは、
何かの美術品のような形です。
近づいてよく見てみると、おそらく、円筒状の箇所で鉄鉱石を焼き、
その下の受け皿みたいな所で溶け出した鉄を抽出したと想像できます。
現地では、あまり詳しいことが分からなかったので、帰ってから色々調べて
みました。
源内峠製鉄所は7〜8世紀頃の遺跡です。
当時、日本は、藤原広嗣の乱に見られるように、まだ朝廷の力は十分とは言い難く、
近江にも紫香楽宮、大津宮などの都が造営されていました。
近江は、おそらく鉱山があったと考えられ、そこから得られる鉄は、
日本を統治する上でも重用視されていたに違いありません。
それを象徴するように、近江には、製鉄所が60カ所以上も存在します。
この公園付近にも、製鉄遺跡が数カ所存在し、「瀬田丘陵生産遺跡群」
として国史指定もされているようです。(知らなかった…)
有名な言葉ではありますが「近江を制するものは天下を制す」と言われますが、
それは、京都と東国を結ぶ要地という地政学上の話だけではなく、鉄資源という
要素も含まれていたに違いありません。
実は、『続日本書紀』にも、これに該当すると思われる記述(巻3)があります。
大宝3年に四品志紀親王(シホンシキノミコ)が、近江の鉄穴(カンナ:鉄鉱山)
をもらったという記述があります。
源内峠製鉄所。
今まで、7〜8世紀の遺跡を詳しく調べることはなかったのですが、
こんな身近に、当時の日本事情を推測できる遺跡があるとは知りませんでした。
私は戦国時代が大好きですが、もっと身近な遺跡にも興味を持ち、少しずつ
掘り下げて行きたいと思いました。