2016年9月17日土曜日

アニメ聖地、ならぬ「歴史聖地」で…

17日付けの日経新聞朝刊でKADOKAWAとJTBやJALが共同で「アニメツーリズム協会」を立ち上げたそうです。
観光振興対策の一環として、アニメ舞台となった場所を「聖地」として認定し、年間400万人の観光客の誘客を目指すようです。海外でも日本のアニメは絶大の人気を誇っているので、この活動は素晴らしいと思います!

この記事を読んでいて、ふと「この活動って歴史でも十分できるよな…」と思いました。
歴史的事件の舞台は日本にいくつもありますが、その殆どが史跡として残っているだけで、観光用に整備されていません。政府は海外観光客の誘客を「2020年に3000万人」としています。オリンピックもあってのことでしょうが、日本の歴史文化を知ってもらう絶好の機会だと思います。
遺跡はそのままにして、日本の伝統と悠久の年月を感じてもらいつつ、近代的な技術を駆使してVRでの紹介やジオラマ再現などをしてもっと楽しんでもらうべきです。

歴史資産ももっと効果的に、戦略的に整備をしていかないと各自治体に任せていては、限りある予算の中で有効活用できないかと考えます。以前のブログにも書きましたが、名古屋城の木造天守再興もそうだと思います。
文化庁などが率先して「優先復興史跡」などを指定して積極的に予算取得などを目指す等の動きをしたらもっと変わるよなと思いました。


2016年9月5日月曜日

日本三大水城〜今治城

松山に用事があって、道中の今治城によってきました。
藤堂高虎代表作の1つでもある水城は、その石垣と縄張りがとても素晴らしいお城です。

瀬戸内海に面した立地であるため、水分を含んだ砂の上に大きな石を載せるという工事は困難を極めたらしいですが、当時の最新技術を使って築城されたらしいです。

このお城の面白いところは、天守閣の位置が想定であることです。
文献には載っていないらしく、復興するときも「この辺」というある意味、適当な位置で復興されています。

<駐車場情報>
・城の目の前に駐車場があります。ただ、15,6台しか駐車できません。
 30分100円です。

<スタンプ情報>
・天守のチケットを購入する窓口で一言かければ、スタンプを貸してもらえます。
 天守に入らなくてもハンコを押せますよ。

<写真>
※駐車場から天守を臨む















※天守と藤堂高虎公像

























※その他

















※番外編(道後温泉)
建物が立替されるらしいので、その間は入れなくなりそうですね。




2016年8月30日火曜日

お金儲け話がタブーなのは江戸時代から?

先日、雑誌を読んでいたら、面白い下りを見つけましたので紹介します。

日本人はこれまで、人前でお金について話すことや、学校でお金の教育を行うことはタブーとされることが多かった。
一説によると、この背景には、江戸時代の武士が殿様から与えられた俸禄(給与)内で生活し、「金のために生きているのではない」というプライドを美徳とする意識が長く受け継がれてきたから、ともいわれている。」
(日本FP協会発刊 パーソナル・ファイナンス」

「確かにそうなのかも…」と思いつつ、「ちょっと強引だな…」という印象もありますね(笑)
確かに、武士は「いざ」という時には命をなげうってでも殿様に尽くすことが求められており、確かに「お金のためには生きていないな…」と思いますが、低禄の武士も多く、副業をしないとやっていけない時代でもありました。そのため本当かどうかはわかりませんが、刀も質に入れてしまうため、脇差をさして入るけど中身は空みたいなこともあったようです。武士こそ「お金がないと生きていけない」と強く思っていたのではないでしょうか。

また、江戸時代の人口構成における武士の比率は3〜4%と非常に低く、90%が農工商でした。
そう考えると、武士の思想だけで日本人的な思想が固まったとは到底思えず、むしろ江戸時代の思想というよりも明治〜昭和の戦前教育に原因があるのではないか?と考えます。

調べたわけではないので推測になりますが、戦前の日本は必ずしも裕福な国ではなく、当時の欧米諸国のような贅沢は官民ともにできかなったと考えられます。もっとも国防費が国家財政の30〜80%を占めていたわけで、強兵自体が国の目的でもありましたから、政府としても国民に頑張ってもらうしかなかったのかと。そのため「金儲け」ではなく「お国のために」という思想で国民を統制して勤労してもらった結果、「金儲けは悪」という思想に、はからずもなっていったように思います。


2016年8月16日火曜日

伊賀上野城はやっぱり高石垣!

分かっているよ。
この暑さの中、お城なんて見に行ったらどうなるかなんて分かっているんだけど、やめられないのだよ…。
いや、むしろ、今回の伊賀上野城は、息子が「忍者になりたい!」って朝から言うものだから、伊賀の忍者屋敷に連れて行くことになったのがきっかけなんだけど…。

そうは言ってもこの暑さ…。どうにかならんものかね…。

伊賀上野城と言えば、築城の名手 藤堂高虎が築城したことや高石垣が有名ですね。
天守は連立であり、これといった特徴はないのですが、やはりこの高石垣は見どころ。上から見ると足がすくむほどに高い…。下から見たら、攻める意欲もなくしたでしょう…。

知らなかったのですが、伊賀上野城は徳川家康が大阪城攻めに失敗した時に籠城するために作らせたお城だそうです。ただ、大阪城も落城してしまったため、戦略的な意味はなくなり、途中で普請が終わってしまったとか。

天守は白漆喰で、先日見た丸岡城とは全く異なる雰囲気です。やはり実戦を想定して作られた丸岡城と、築城技術が成熟し、天守自体が威厳や威嚇に役割を移してきたのだなぁと実感することができました。

さて、伊賀上野城とは関係ないですが、昨日は終戦記念日。
忍者村で黙祷を捧げました。
いつも思うのですが、終戦宣言前日や当日、いや、宣言を知らずに戦い続けて命を落とした方々もいるはずです。そのような方々の無念を思うと心が裂ける思いです。自分の子供たちはもちろん、自分もそんな無念を体験させたくないし、したくない。

親として、そして日本国民として、日本や世界が平和にあって欲しいと心から思います。


<駐車場情報>
・公園内と公園前に合計20〜30台の駐車場がありますが、すぐに満車になります。私は10:00につきましたが、すでに満車でした。なお、有料です。
・徒歩5分くらい離れた場所に100台以上駐車できる「城北駐車場」があり、そこに駐車しましたが、昨日は無料でした。(一応、係員が詰める小屋はあるので、普段は有料?)

<スタンプ情報>
・天守のチケットを購入する窓口で一言かければ、スタンプを貸してもらえます。
 天守に入らなくてもハンコを押せますよ。

<写真>








2016年8月14日日曜日

丸岡城に登城!

先日から始まっている夏休み。
普段、子供たちと遊べていないから、福井の「芝政ワールド」へ行ってきました!
プールが主の遊園地ですが、迷図やジェットコースター、パターゴルフ、ゴーカート等色々あって、結構楽しめました。プールは、この時期22:00まで営業していて、さすがにそんな時間まではいなかったですけど、18:00ぐらいまでゆっくり遊べました。人もだんだん少なくなって、子供たちは大きなプールを専有して遊べました。

1日は子供たちメインで遊んで、2日目は私の趣味の城巡りへ。
100名城スタンプも地味にやっていかないと、人生が終わるまでに全てを集めきれません…。
福井には、一乗谷朝倉氏遺跡と丸岡城の2つでスタンプが押せます。一乗谷は前回行ったので、今回は丸岡城へ。

現存天守最古と言われる丸岡城は、2層3階の木造天守。
作りはとても質素で、超こじんまりとしています。香川の丸亀城に近い雰囲気を持っていますね。
天守内は土足厳禁のため小綺麗です。ただ、面積が小さい割には3階建てですので、階段がめちゃめちゃ急です。綱が上から垂れ下がっていて、「これを持って登れということか…」って!
息子と必死に登りました。

とても暑い日だったのですが、天守の3階に登ればとても風通しがよく、福井の風を感じる事ができました。

=余談=
福井はちょっとしたドライブにいい場所ですが、福井県にいくといつも「ソースかつ丼」を食べます。
ちょっと濃いソースと薄いけど脂身が少ないカツが、白ご飯の上にたくさんのっていて、ボリュームも味も最高です。どこにいっても安心した味ですので、是非、福井に行った方は食してみてください。
超、オススメです!!


<100名城スタンプ>
・チケット売り場
 ※声をかければ出してくれます。多分、チケットを買わなくても押せるかと。

<トイレ>
・チケット売り場前
・駐車場内

<駐車場>
・30台程度停められそうです。

<写真>

























(ソースかつ丼と越前そばセット)





2016年1月24日日曜日

合肥城に行ってきました!

先日、仕事の都合で中国合肥市を訪れました。
三国志ファンなら誰でも知ってる、あの「合肥の戦い」が行われた場所です。
合肥は、安徽省という省にあり、曹操や周瑜、華佗の出身地でもあります。
地元の中国人に案内してもらったのですが、あまり三国志に詳しくなく、僕のほうが詳しかった…w
まぁ、日本人でも日本史に詳しくない人がいるので、どこの国にいっても歴史ってそんなもんなのかも知れません…w

さて、合肥の戦いというと、張遼・楽進・李典を中心とした数千の魏軍と、孫権率いる十万の呉軍がぶつかり合った戦として有名であり、また、不仲であった張遼・楽進・李典が曹操の書状によって戦うという話が有名です。

今は合肥城の堀後に水が張られてその中が公園(というか遊園地)になっていますが、張遼像や三国志文化館という博物館もありました。
また、本当かどうかは知りませんが、張遼の墓もありました…。

写真を撮ってきましたので、ぜひ、ご覧ください。

1.張遼像と今の合肥公園





















2.三国志文化館



























3.張遼の墓

2016年1月4日月曜日

名古屋城、木造天守再興に向けて〜

本日の日経新聞に掲載されていたが、名古屋城の木造天守再興の動きがある。鉄筋コンクリートで再建されてから既に半世紀が経過しており、老朽化のための補強もしくは建て替えが必要となっている。
河村市長は、これを機に木造での建て替えを声高に掲げており、市民への理解を求めるため、タウンミーティングを精力的に開催している。

このような動きがあること自体を知らなかった自分の勉強不足を恥じるともに、名古屋市長に大きなエールを送りたい。大げさかもしれないが、今後の名古屋市の観光事業を左右する事業だと考える。

日本政府が観光立国を宣言してから数年が経つ。
円安効果もあり、日本を訪れる外国人は1800万人に迫る勢いである。(2015年11月時点)
私は京都に通勤しているが、外国観光客を見ない日はなく、また、趣味である城巡りをしている中でも外国人に遭遇する機会は多い。外国人が日本を1つの「海外旅行先」として認知していることは間違いなく、さらには2000年という長きに渡る日本の歴史・文化に興味も示している。
つい最近も日本に出張に来ていた中国人を大阪城に案内し、とても興奮していたことを思い出す。

このような中、名古屋城を建築当時の木造で再建することにどのような意義があるかを考えてみたい。

①話題性による経済効果
間違いなく日本中から、また、海外からも観光客を集客できる。黙っていても旅行会社が機会を逃さず、ツアーを組んでくれるので、一定の経済効果は必ず出て来る。当然、名古屋市、愛知県、観光庁が一体となってアピールすれば、数倍の差は出て来るであろう。
大切なのは、機会を逃さず、やりすぎず、長期的な視点を持ってやるということである。

②歴史・文化の再認識
名古屋城は第2次世界大戦の空襲で焼けたため、近代まで天守が残っており、資料も豊富だと言われている。再建にあたっては、資料の読み返しが再度されることになり、名古屋城の建築技術や歴史的背景も再認識されるに違いない。式年遷宮ではないが、このような定期的な技術継承はやはり必要である。

③夢や希望を発信する
補強、建て替えどちらにしても億単位での出費は避けられない。使う費用の大小はあるにせよ、億の金を使うのであれば、後世に夢や希望を、地元に誇りを与えるべきだ。昨年、松江城が国宝認定された。中国地方の人にとっては、明るい話題であったに違いない。名古屋人にとって誇れる地元、日本人が日本に誇りを持てる事業を進めるべきである。
木造でなくてもいいという議論があるかもしれないが、私は木造にこだわるべきだと思う。木造にこだわるべきでないと思う人は、一度、木造建築の城に行ってみるといい。なんとも言えない木の感覚が手足で感じられ、歩く度にきしむ床、木に合う畳、やはり木造は素晴らしい。
ヨーロッパの城が鉄筋コンクリートだったらどう思うか?それなりの感度はあるかもしれないが、やはりあそこまでの感動は得られないだろう。石を積み重ねた重みのある重厚な感覚こそ、感動の源だと思う。


これらの効果は、必ず出て来る。そう信じることである。

最後に注意点を述べたい。

①城単独の再興にならないように注意する。
天守だけを再興しても効果は限定的である。城の再興に合わせ、周辺地域の整備も必要である。例えば、観光バスの停留所、市民の憩いスペース、活動広場の整備、名古屋駅を中心とした観光ルートの確立など、トータルで考える必要がある。

②市民の声は程々に。ただし、説明責任を果たす。
巨額の血税を使う事業に反対は付きものである。全員一致で賛成などということは絶対にないので、市民の声を1つにまとめようと思ってはいけない。リーダーは常に孤独であるので、やると決めたらやり切る必要がある。
ただし、独裁はいけない。事業の意義をしっかり説明し、経費は最小限にとどめて、最大の効果を生み出せるように努力と工夫を重ねる必要がある。

東京・大阪に比べてインパクトの薄い名古屋。
経済だけではなく、文化的な意味でも日本を引っ張っていく意気込みを期待したい。