2013年11月24日日曜日

日本城郭検定〜石垣の積み方


今日は石垣の積み方。

1.野面乱積(のづららんづみ)
未加工の自然石を積み上げた石垣。
積み上げた石材の大きさが異なるため、横目地が通らない。

2.野面布積(のづらぬのづみ)
未加工の自然石を積み上げた石垣だが、ほぼ大きさのそろった
石材を横方向に並べている為、横目地が通る。

3.打込接乱積(うちこみはぎらんづみ)
荒割石の接合部を加工し、隙間を減らした積み方。
隙間には間詰石が詰められた。

4.打込接布積(うちこみはぎぬのづみ)
規格加工材を使用し、ほぼ横方向に目地が通る。
石材間の隙間には間詰石が詰められている。

5.切込接乱積(きりこみはぎらんづみ)
石材を徹底的に加工し、隙間を全くなくした石垣。
石材の大きさは統一されていないため、多角形をした石が多い。

6.切込接布積(きりこいはぎぬのづみ)
石材の横目地が通る様に、規格化された切石を隙間なく積み上げ
た石垣。

甲冑の袖〜甲冑護符


先日、戦国魂さんで購入した「甲冑護符」が本日届きました。













想像よりサイズが小さかったけど、よく見るとかなり出来はいい!
一つ一つ手作りされているようで、造りはしっかりしている。

携帯ストラップのようだけど、スマートフォンユーザーなので、
使い道はないか…w

何かの縁なので、この「袖」を調べてみました。

古くは「肩鎧」と呼ばれていたようで、二の腕を防御するために
あるようです。
左の袖を「射向の袖」、右の袖を「馬手の袖」というらしく、
右利きで弓を射るときに、左腕が前にくるから「射向きの袖」。
馬の手綱を握るのは、右手なので、右側が「馬手の袖」。
(ちなみに、右手側を馬手(めて)というらしい)




2013年11月16日土曜日

日本城郭検定〜三大湖城


今回は、湖城。

「湖城」とはあまり聞いたことがなかったが、要は、湖など
に浮かび上がる城という理解で良いだろう。

日本三大湖城は、
1.松江城(島根県)
2.膳所城(滋賀県)
3.高島城(長野県)
である。

1.松江城
宍道湖から引かれている堀川に浮かぶ、平山城。
石垣構築には、人柱伝説が残る、興味深いお城。














2.膳所城
琵琶湖の南西(ほぼ南)に位置し、大津城、瀬田城、坂本城
に並ぶ、琵琶湖の浮城の1つ。
4重4階という天守があったとされ、湖面に映る城の姿は、
瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と詠われる
ほどであった。
関ヶ原の合戦時代、京極氏が治める大津城が既に存在していたが、
合戦が終わると、大津城は廃城、幕府の第一号普請事業として
膳所城が建造される。
設計は、城造りの名人、藤堂高虎。3万石の譜代大名として戸田氏
が入場し、以後、この要地を統治する城となる。









3.高島城
別名「諏訪の浮城」と呼ばれ、諏訪湖に突出した城であった。
しかし、江戸初期に諏訪湖の埋め立て事業が始まり、湖面に
映る姿は見られなくなる。
日根野氏により3重天守が造築され、近世城郭の姿をみせたが、
軟弱な地盤の為、木材を筏状に組み、その上に石垣が作られる
という当時としては最先端の技術を用いて建造された。













2013年11月11日月曜日

日本城郭検定〜三大山城

今日は三大山城について。

日本三大山城は、以下の3つをさす。

1.岩村城(岐阜県)
2.備中松山城(岡山県)
3.高取城(奈良県)

1.岩村城
標高717mに位置する、日本で最も高い場所に位置する城である。
また、築城は鎌倉時代にまで遡り、700年という長い歴史を刻む
城でもある。
武田家の侵略時、遠山景任が没し、その妻が采配を行ったこと
から、「女城主」の歴史も持っている。









2.備中松山城
現存天守であり、天守、二重櫓、土塀が重要文化財に指定されて
いる。
海抜430mに位置しており、本丸へ続く道は1500m程、約1時間の
山道を歩くこととなる。現存天守が存在する城跡で、日本一高い
場所に存在する。
気象条件が揃えば、雲海にそびえる優雅な山城を観ることが出来る。









3.高取城
標高583mに位置する、比高が日本一(390m)の山城。
南北朝期に築かれた。










2013年11月10日日曜日

日本城郭検定〜三大平山城




12月の検定に向けて、勉強だ!

今回のテーマは「三大平山城

平山城は、
 津山城(岡山県)
 和歌山城(和歌山県)
 姫路城(兵庫県)
 松山城(愛媛県)
の4つである。
三大平山城なのに、なぜ4つか?
それは、人によって組み合わせが異なる為らしい(笑)

松山城は、標高100m程であるが、他の3城は、50m前後
であり、松山城はほぼ、山城といってもいいくらいだ。
松山城が、平山城と考えられる所以は、山頂部と山麓部
の密接性からであり、山頂部と山腹の二の丸を竪石垣
(登石垣)で連結しており、一体化を図っているためだ。

他の城も丘陵の使い方という意味では、それぞれ特徴
があり、後世の人々がひっくるめて「三大」とは言って
いるが、実際には、既にある地形をどのように活用する
かということに苦心したと考えられる。

ちなみに、筆者は大学時代、松山市に住んでいたので、
松山城には思い入れがある。
毎年春は、とても桜が奇麗だ。絶景ともいってよい。
夜はライトアップされており、大手までは登山できる。
山頂から見る松山市もまた奇麗であり、松山城を中心に
こじんまりと発達している松山市は便利で、気候も温暖
であり、歴史に触れる機会も多く、とても住み良い市で
ある。

【写真】
1.津山城









2.和歌山城










3.姫路城










4.松山城