2015年2月8日日曜日

九鬼嘉隆の海城「鳥羽城」

前日、遅まきながら、伊勢神宮に初詣に行ってきましたw
伊勢といえば、赤福餅と手こね寿司。
おかげ横丁の赤福を堪能した後、手こね寿司を食べに鳥羽へ。

七越茶屋という店の手こね寿司を食べ、お店をでると、
目の前に「鳥羽城跡」という大きな看板が立っていることに
気付き、そのまま運動がてら城跡を巡りました。

鳥羽城は九鬼嘉隆が築城した海城。
大手が水門であり、四方を海に囲まれていたという縄張りは
まさに随一の海軍を要した九鬼家に相応しい城です。

明治時代に天守や櫓などの建築物はすべて取り壊されましたが、
一部、野面積みの石垣が残存しており、当時の面影を残します。

■本丸跡











■本丸から鳥羽湾を望む











鳥羽水族館側から本丸を見上げる
※当時、このような石垣が存在したかはわかりませんが、
とても威圧的で立派な石垣でした。













■登山口














■手こね寿司




















2015年1月29日木曜日

日本城郭検定ー合格!


昨年末に受験した第五回 日本城郭検定、合格しました!
結局、計3回も受けました…(笑)
次は、2級を受けたいと思います!
それを理由に、全国の城を巡る旅を、計画中。
嫁は快くOKしてくれているので、とても感謝しています。


2015年1月26日月曜日

大河ドラマ「花燃ゆ」〜密出国で捕まる松蔭


正直、こんな早い時期に松蔭が密出国をするとは思いませんでした。
もう少し後かなと思っていましたが、考えてみれば、今回の大河ドラマは、
松蔭の妹「文」の話。これくらいのスピード感じゃないと語れないのかも
しれませんね。

さて、文の兄上松蔭ですが、国禁とされている密出国を企ててしまいます。
しかし、日本との関係を重視したペリーによって、密出国は叶いません。
その後、密出国を企てたことを自首した松蔭は、死罪を免れ、国元の長州に
返された後、野山獄に監禁されます。

このあたりの松蔭の行動ですが、さすがに無謀としか言いようがない。
小田村伊之助も言っていましたが「物事には順序が有る」と。
思い立ったら吉日的な思考であり、日本の将来を憂いていた松蔭だっただけに、
順序は些細なことであったのでしょう。
そうであっても、大事を成し遂げるには、まず小田村が言うように順序を
重んじるべきであると思います。
大事を為すには、勢いも大切ですが、ある程度の計画も必要です。

結果的に野山獄時代に行った講義が元で、創価村塾を開くことになった
ので、無駄な時間だったとは言えませんが、ひとつ間違えれば命はなく
幕末の志士は育たなかったかもしれません。

もっとも、
 
 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし

と言い放った松蔭にとって、死は全く怖くなかったのでしょうが...




2015年1月18日日曜日

大河ドラマ「花燃ゆ」〜久坂玄瑞に出会う?


今回は、文が久坂玄瑞に出会う場面でした。
松下村塾以前に、本当に文と久坂玄瑞が出会ってい方の
議論や二人して異国船を見に行ったかどうかは別として、
今回のテーマは

何のために生きるのか

ということの問いかけだったと思います。
寅次郎と文との会話の中で、寅次郎が単刀直入に言って
いました。

「何のために生きているのか。それを常に探している」

そして、運の無さに嘆く久坂玄瑞に、文が言います。

擦りむいてもいいから、目標に向かえ」と。

今の日本は、幕末とは違いますが、危機が迫っている
ことには違いありません。
多額な国債、少子高齢化、国力の弱体化、何よりも、
日本人が小さくなっていると思います。
決められたレールからはみだせない社会の硬直さのゆえに、
かすり傷程度の傷さえも負えない状態になっている。
夢は見えるけど、叶える余力はないほど消耗している。

30代半ばになって思うこと。

子供たちに自信を持って夢を語れるか。




2015年1月17日土曜日

大河ドラマ「花燃ゆ」〜松蔭の脱藩から思うこと


先週の大河ドラマ「花燃ゆ」では、東北地方沿岸の視察の許可が藩から
なかなか下りないために、吉田松陰は脱藩してまで視察を強行しました。

私達の感覚では「脱藩」という行為の罪の重さは理解できませんが、
今でいうところの「密出国」に当たります。
日本にいれば、これもまた感覚はないでしょうか、北朝鮮の国民が中国に
密出国したり、北朝鮮の高官が韓国に密出国するケースは、
たまにニュースでも見られます。

江戸時代、藩は、今の「日本」と同じレベルの国という扱いであり、
日本は藩という国の集合体だったと理解すべきです。
(当時の海外の外交使節団も、このように述べている)
その国を黙って出国するのですから、本人はもちろん、その家族・一門
にも多大な影響が及びます。
大河ドラマでは、松陰の妹の婚姻が取り消されましたし、ひどい時には、
お家断絶ということもありえます。
(昔、まだベルリンの壁が存在し、ドイツが東西ドイツで分かれていた時、
 壁を越えようとした国民は、容赦なく射殺されました。
 現在でいうと、そんな感覚です。)

吉田松陰は、そのような重大な罪を犯してまで、なぜ東北沿岸の視察に出かけたか?

それは、やはり「国を想う気持ち」であったに違いありません。

松蔭の有名な言葉に

 これをやったらどうなるかは分からないが、やらないと始まらない。

という意味のものがあります。

松蔭としては、脱藩したらどうなるかはある程度予測はついたでしょうが、
脱藩してまで、東北沿岸の視察に出かけ、外国船について情報を得ないと、
この国が置かれた状況が肌身で感じられなかったのだと思います。
後先考えず、自分の信念・価値観にしたがって行動している

私達が生きる現代において、このように価値観にしたがって行動することは、
松蔭が生きた江戸時代よりも、重要な行動指針として扱われるべきです。

多忙な現代人は、本当に今の時間を、自分の大事な価値観に基いて使うことが
できているか。多量の仕事、日々やる作業に追われ、「消化したこと」で満足
していないか。ちゃんと振り返るべきだと思います。

竹中平蔵氏曰く「生産的な仕事をすべきだ。それ以外は単なる消耗にすぎない」





2015年1月4日日曜日

大河ドラマ「花燃ゆ」はじまりました

吉田松陰の妹を主役にした大河ドラマ「花燃ゆ」始まりました。
正直、あまりおもしろくなさそうだな…と思っていましたが、
第一話を見終わった頃には「これは面白い!」とついつい嫁に
言ってしまいました(笑)

「人はなぜ学ぶのか」

最近、私自身、本当に考えていたテーマです。
出世でもない、役割でもない。
人として、一人の親、人間として、何を人生でやり遂げたいか。
これを達成するために、色々学び、人格を磨き上げるしなかい
と考えています。

妙に最近の自分の思考と大河ドラマのテーマが一致してしまい、
ちょっと興奮してしまいました。。。

至誠にして動かざるは 未だこれ有らざるなり