7月に、大河ドラマ「黒田官兵衛」
は後半戦に突入しました。
その前半戦最後とも、後半戦最初
とも言えるのが「本能寺の変」では
ないでしょうか。
江口洋介が演じる織田信長は家臣、
明智光秀討たれ、夢半ばで果てます。
光秀が信長を討ち果たした理由は、
昔から様々な研究により、諸説あり、
古くには、
「徳川家康の接待時の不備の指摘」
「領国配置換え」
などと言われておりますが、最近は
「四国攻めの長宗我部との調整反故」
「朝廷陰謀説」
など、様々な説も生まれています。
どの説も魅力あるストーリーで、
歴史への想いを熱くさせます。
さて、大河ドラマ「黒田官兵衛」は、
どの説にもよる事無く、今までの説を
ベースにNHK独自にアレンジした感
があります。
信長が天皇中心とした朝廷政治を崩壊
させ、信長自身が日本の君主となる
政治体制を考えており、それに反旗を
翻したという形です。
歴史にIFは禁物ですが、IFを考え
るからこそ、楽しいというもの。
このNHK独自の考察で、仮に信長が
本能寺で討たれていなかったら、
どのような日本になっていたのでしょう。
筆者が思うに、日本は現在のアメリカ
合衆国のような連邦政府に近い形に
なっていたのではないかと思います。
信長は当時としては珍しく、方面軍団
という思想で領国経営していました。
信長一人で天下布武を成すには日本は
広く、時間もない。どうすればもっと
効率よくできるか。
その結果生み出されたのが「方面軍団」
という考え方です。
これは、信長の主立った武将達を
地方に進軍させ、信長武将と戦国大名
を対峙させる。兵力が足りない方面に
は遊撃軍を送る。
各方面の大将は、信長の大方針に
従って動くが、基本的には自由な裁量
があり、目標に従い、着実に実行する
だけというシンプルな仕組みです。
具体的には、
北陸方面軍
大将:柴田勝家、敵対大名:上杉謙信
甲府方面軍
大将:滝川一益、敵対大名:武田勝頼
関東方面軍
大将:徳川家康、敵対大名:北条
氏政
中国方面軍
大将:羽柴秀吉、敵対大名:毛利輝元
四国方面軍
大将:織田信孝、敵対大名:長宗我部元親
が挙げあれます。
遊軍には、明智光秀、丹羽長秀など、
名将が揃っており、当時の織田家は、
まさに名実共に日本を制覇するだけの
力量と仕組みができていました。
仮にこの方面軍団が活躍し、日本統一を
成し遂げた場合、信長は基本的には、
切り取った領地は切り取った武将に与えて
いましたので、規模や配置換えは多少ある
にしても、方面軍の大将がその地を治めた
と考えられます。
先に挙げた方面軍は、家康以外は信長
の家臣ですが、織田家の柱をなす重臣
であり、どの武将も領国経営能力には
長けており、間違いなく「日本合衆国」
が誕生していたでしょう。
今、熱い議論となってりる「道州制」。
実は450年も前に、信長自身も