2013年6月14日金曜日

近江という土地〜大津百町

大津百町を知っているだろうか。

江戸時代、現在のJR大津駅を中心に栄えた商人の町並みを指す。

戦国時代、大津には大津城という京極氏が治める城があり、
関ヶ原の戦いで西軍の進行を妨げるなど、東海道の要所を治める
重要な拠点だった。
だが、江戸時代に入り、世が平安を迎えると、戦術的な要素を
失った城は、次々と廃城となり、大津城もまた廃城、膳所(大津市)
にその機能が移された。(天守閣は彦根城へ)
もともと大津城下町として存在した城下町は、そのまま商人都市
として栄え、町数が100ヵ町を数え、人口は18000人を超えており、
活況のある町が形成された。

大津百町の特徴は、その活況っぷりだけではない。
大津は、天領(幕府が直接治める土地)であり、代官が置かれて
いたが、代官配下の人数が少なかったため、ピラミッド構造的な
組織が作られた。今の企業体大組織のようなものである。

代官の下には、大津町人の代表として惣年寄りが置かれ、矢島・
小野両家が幕末まで世襲した。大津百町は10カ町ずつ7組に分けられ
各組の代表者が組惣代として置かれた。さらに各町には、町年寄と
それを補佐する五人組役が置かれ、寄合を開いて「町定」を制定し
自治が行われていた。
※ちなみに、大阪の境も同じような組織があったと言われている。

これに見られる様に、日本の組織は、ピラミッド型が旧来から
備わっていた。天皇を頂点とした国民的組織も大きくはこれである
今の日本人が組織に従順である理由も、1000年以上続いたこの習慣が
遺伝子レベルで遺伝しているからとも言われている。

一方、欧米はどうか?
人が集まる以上、組織がピラミッド化するのは、どこの国も同じ
であり、至極、一般的だ。
だが、その1つ1つのピラミッドは最小限の大きさであり、
ピラミッドの中でも上意下達ではないことが多い。
欧米の組織は、統制するためのものであり、上意を強引に下に
押し付けるものではない。日本とは全く異なる組織なのである。



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