江戸時代、現在のJR大津駅を中心に栄えた商人の町並みを指す。
戦国時代、大津には大津城という京極氏が治める城があり、
関ヶ原の戦いで西軍の進行を妨げるなど、東海道の要所を治める
重要な拠点だった。
だが、江戸時代に入り、世が平安を迎えると、戦術的な要素を
失った城は、次々と廃城となり、大津城もまた廃城、膳所(大津市)
にその機能が移された。(天守閣は彦根城へ)
もともと大津城下町として存在した城下町は、そのまま商人都市
として栄え、町数が100ヵ町を数え、人口は18000人を超えており、
活況のある町が形成された。
大津百町の特徴は、その活況っぷりだけではない。
大津は、天領(幕府が直接治める土地)であり、代官が置かれて
いたが、代官配下の人数が少なかったため、ピラミッド構造的な
組織が作られた。今の企業体大組織のようなものである。
代官の下には、大津町人の代表として惣年寄りが置かれ、矢島・
小野両家が幕末まで世襲した。大津百町は10カ町ずつ7組に分けられ
各組の代表者が組惣代として置かれた。さらに各町には、町年寄と
それを補佐する五人組役が置かれ、寄合を開いて「町定」を制定し
自治が行われていた。
※ちなみに、大阪の境も同じような組織があったと言われている。
これに見られる様に、日本の組織は、ピラミッド型が旧来から
備わっていた。天皇を頂点とした国民的組織も大きくはこれである。
今の日本人が組織に従順である理由も、1000年以上続いたこの習慣が
遺伝子レベルで遺伝しているからとも言われている。
一方、欧米はどうか?
人が集まる以上、組織がピラミッド化するのは、どこの国も同じ
であり、至極、一般的だ。
だが、その1つ1つのピラミッドは最小限の大きさであり、
ピラミッドの中でも上意下達ではないことが多い。
欧米の組織は、統制するためのものであり、上意を強引に下に
押し付けるものではない。日本とは全く異なる組織なのである。
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