2013年6月23日日曜日

本能寺の変、明智光秀の黒幕はいたのか?

最近の歴史研究により、過去に私たちが教科書で習った事項とは
全く別の事象が証明されていることが多々あります。
鎌倉幕府の成立年もそうですね。最も、これは「捉え方」という
視点でもありますが。

さて、今回は、少し前にもテレビで紹介されたらしいのですが、
本能寺の変で明智光秀が織田信長を討った、あの有名事件が対象
です。

光秀が信長を討った本能寺の変。私が学生の頃は、光秀挙兵の
理由は、「土地を強引な転封」「徳川家康接待時の失敗における
叱咤のため」等がささやかれていました。
その後、朝廷の陰謀という陰謀説もありましたが、最新の研究では
「四国討伐」が関わっているらしいというのがあります。

当時、北陸方面軍の柴田勝家は上杉家を、関東方面軍の滝川一益は
武田家を、中国方面軍の羽柴秀吉は毛利家を攻めていました。
明智光秀といえば、四国方面を担当しておりましたが、ここは武力
攻略ではなく、長宗我部家と和解による攻略を光秀が進めていました。
しかし、信長は従来の方針を変えて、四国の武力攻略にでたらしい
のです。
それに面目を潰された光秀が、怒り心頭により、本能寺の変を起こした
という説です。

まだ、私の中で整理できていませんが、どの道、信長に対し、嫌気が
さしたことは間違いないのでしょう。









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