2013年6月6日木曜日

近江という土地(1)

大河ドラマ批評も一段落したので、今回から毎回テーマを絞って評論していきたい。

初回は「近江
※筆者が滋賀県に住んでいるので、選択しました。

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近江は、「淡海」「近淡海」とも書き、琵琶湖を意識した名称であった。
これまで近江に天皇の住居がおかれたことは3回ある。
 大津京:天智天皇〜弘文天皇
 紫香楽宮:聖武天皇
 (伝)保良宮
戦国期は、六角家、浅井家が近江を支配しており、その後、織田家にて統一され、
名だたる織田家の有力大名たちが支配した。信長は、10年以上の月日を費やして
手中にした美濃の岐阜城を長男、織田信忠に譲り、自分は安土に豪華絢爛な安土城を
築いている。
その他、有力大名として、坂本城の明智光秀、長浜城の羽柴秀吉、佐和山城の丹羽長秀が
近江に居城を構えている。
信長が光秀に討取られ、その光秀を討った豊臣秀吉が政権を取った後は、豊臣政権の
中枢武将達が支配した。それは、八幡山城の豊臣秀次、長浜城の山内一豊、坂本城の
丹羽長秀、大津城の浅野長政、京極高次、佐和山城の石田三成。
江戸期になると、譜代大名の彦根藩(井伊家:15〜30万石)が最大の藩として存在し、
その後、膳所藩、水口藩と続く。
また、天領も多く、いかに近江が重要な地であったかが伺える。

意外と知られていない近江の土地を少しずつ紹介して行きたい。


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