2013年5月30日木曜日

なぜ、平家は政権運営に失敗し、源氏は成功したか。(3)


【恩賞による求心力】

先に述べたように、明治期に廃藩置県により土地がすべて国家のもになるまでは、国民にとって土地が経済基盤であった。経済的な価値は金や貨幣も市民権を得ていたが、あくまで補助的な役割にすぎず、主体は米(=土地)である。江戸時代の大名の家格が「石高」できめられることがこれを顕著にしている。
飛鳥時代の律令によって定められた国有地は、平安〜鎌倉期には、公家が荘園として土地を支配しており、武家はその護衛を行うことにより生活していた。中央(京)にいた公家が、地方の土地を与えられた場合、その土地の管理のために武士を雇ったのである。当時、京以外は国外とも言える感覚でいたため、公家が勤めであっても地方の土地に赴くことはあまりない。
後に執権として、鎌倉幕府を支えた北条時政も例外ではない。平家に縁を持つ豪族に使えた地方豪族である。

このように、武士にとって土地を持つことは、現代人が就職、転職時に給与を気にすることと全く同じだ。自分の価値をそこに見いだす。
これを上手く利用した源頼朝は、御家人として彼らを召し抱え、主人は全力で利権を保護し、御家人は全力で主人に奉仕する。ここに、朝廷にはない、強固な関係が結ばれたのである。
源氏の実利で結ばれた結束力を前に、従来の近縁者だけを優遇した朝廷のやり方を貫いた平氏は負けてしまったのだ。

平氏は「情」を、源氏は「利」をかついだのだ。

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